既視感

感動することを忘れてしまった。人は年をとるにつれて驚かなくなっていくという。まさに自分は、何もかもが既視感とともに目の前に現れてくるようになった。

すでにこれらのことは知っていたのだ。自分のことも、周りに起きることも。世の中の事件も。何ら驚くことはない。

では、驚きからしか感動は生まれないのだろうか。予期していたことでも、起きてしまえばそれは予期していただけのこととは違ってくる。

例えば、誰かが死ぬこと。死のレッスンはすでに何度も終えてきたはずだ。それでも誰かが本当に死ぬことを前に、私はそれでも心を動かさないのだろうか。おそらく、動かさなければならない。そういった倫理が私を縛るのだ。すでに私は感動することを忘れてしまっている。つまり、それすらすでに想定に入ってしまうのだ。心が停止して悲しみに暮れている。感動することを知ってしまっている。