リアル

相対化することを相対化できないように、リアルというものもずらすことはできないと思う場合、リアルというのは一つしかないことを前提にしているのかもしれない。仮想という言葉はリアルがあるからこそ、それがまるで仮想的なリアルであるということが言えていた。しかし、仮想は必ずしもリアルとは関係がないとも言える(我々が想像しうる限りだが。)。我々は現実的という言葉も使う。夢ばかり見ていないで、という場合の夢は、この仮想のようなものかもしれない。この夢は私に(というより他者に)現実を指摘されるその周辺をフワフワと漂っている。リアルは代替ではなく拡張だとするならば、そのように現実をフワフワと漂っている夢は正しく現実を拡張していたのかもしれない。むしろ私が生きようとしていることの表れこそがそのような夢であって、現実は私にとってはそのような拡張したものの中で惑いながらも歩いているという、それをあらためてリアル(私の)と言えるとすれば、現実的という言葉とリアルというものが随分と違っているような気がする。