メール

*1

この手紙はだれに届くのだろう。そう考えて宛先をわざと隠す。ボトルに入れたメールを海へ流したとき、そのボトルに入っている手紙には必ず書いた人のアドレスが入っている。誰かに届いて欲しいとつぶやいた人は、その人が誰であるかを本当は認知して欲しいのだ。そのボトルの中にはなにが書かれていようと、意味は一つしかない。「私がいます。」この私は匿名ではない。

 

*2

匿名であること、宛先がわからないこと、送り主がわからないこと、これらはそれぞれが異なる意味を持っている。メールが物理な意味合いが薄まってくると、出せる数もまた変わってくる。WEBのサービスも物理世界でのサービスもみな、なんらかのメールの亜種にすぎない。

*3

誰も配達していないのにメールが届くことをもはや疑う人はいなくなった。電磁場という不可思議な存在もなぜかその意味を問う人がいないままに受け入れられた。おそらく太陽がギラギラと頭上にある奇妙さと同じ程度には現代の人々には受け入れられてしまったのだろう。息を吸って吐くような自然さとして。意識しなくなって背景となったものとして。決して生活の中にはでてこないものとして。そして、たとえ気づいたとしても。

*4

いつでも私たちはメールの中身にしか興味がないことになっている。そこには誰かの噂や、今日買った商品の注文票、広告、生活の記録、悩み、告白、そういったものが書かれている。そういったものが書かれていることになっている。