舞台

私たちは毎日を不変であるかのように過ごす。不思議なことに今の時代でも、まるで時間が繰り返されるかのように一日をはじめる。

一年が繰り返し訪れる中で、私たちだけがライフステージを進み。老いて、やがて舞台から退場していく。

ここでは、「私たち」はすでに他人事として語られている。繰り返される舞台は固定され、そこにいる私たちは演じられる。ここにあるのは観客者の視点である。

 

この世界設定こそが(少なくとも日本人の)心象風景だとすれば、二つの謎がある。

一つは演じているのは誰か。もう一つは観客者とは誰か。

 

私たちは物語の中で演じられる役を演じている役者なのか、それともそれを見ている観客なのか。

この二つの謎は最終的に一つの謎をさらに生み出す。

一体私たちはなにを演じようとしているのか。

 

「それが人生である」という言葉にどれだけの虚無感がこめられているのかは私にはわからないが

「演じきること」も「日々を楽しむこと」も「受け入れること」も

すべてが諦念の言い換えのように聞こえてしまう。

 

この謎は一度舞台を飛び出さなければ解けないものなのではないだろうか。

「私はもう演じない。」と線を引き、席をたつ。

 

「舞台からは逃れられない。」や「舞台の外はない。」という役者たちが投げる言葉を背に受けながら。