夢と現実という言葉がある。

夢が現実なのか?現実が夢なのか?は古くから言われていた。もし、この問いが許されるとしたら、世界は少なくとも二つあるはずではないか。しかし、私にとって夢が現実と同じであるとはとても思えない。

その人が現実の世界で見たり、聞いたりしたものが断片になり、変形されて夢の中に出てくる。つまり、夢の中で出てくるエピソードや物は、現実にあるものと対応するものになっている。すると、夢はその人が見てきた現実の再構成なのだろうか。このように考えるとすぐある疑問が浮かんでくる。それは夢が常に論理的に破綻していること。なぜ、なにを持って夢は現実を論理的に破綻するように再構成しようとしているのだろう。

夢は現実と無関係に無数に存在している。夢と現実がリアリティを持って存在しているとして、それを結びつける現象として、私があるとする。夢か、現実かではなく、夢も現実も存在しているとするなら、リアリティがないのは、むしろ私の方なのかもしれない。私が消えれば、夢と現実を結びつけていたものも消えるような。

不思議な事がある。私が現実を見て、私が夢を見ている。私は二つの世界を同時に見ている。だが、何故、二つの世界の吸い込み口として私がいなければならないのだろう?

少なくとも、他に3つの形態があるのではないだろうか。夢と現実から見られている私と、夢を見て、現実から見られている私と、現実を見て、夢に見られている私に。

夢は私の見た世界を素材として作られているように見える。私は夢を見るだけなのに、なぜその夢が私の見た世界を素材として使えるのだろうか。夢が私をみているときに、夢は現実を素材として私を作り出すのだろうか。

この時、私は論理的に破綻しているのではないか?

 

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