人間とは何だったのか

神は死んでいた。人間は誰が殺したのだろうか。人間が死んだことを告げまわっているのは誰なのだろう。

私たちはずっと知っていたことがある。それは人間を機械とみなす大昔の考え方からそうだった。そこで人間と機械を分けるものは自分の自我しかない。すると、他人を機械からわけるものは何だったのだろうか。

例えば機械は模倣して造られたものだが、人間は造られたものではない。
では、機械が自ら人間に近い姿に発生する可能性はないのか。
イルカのようにそれは可能に思われる。

一方で、機械が人間に近い姿に発生する環境といったものは何なのだろう。
イルカにとっての海のようなものだろうか。

機械がこれから獲得しようとしているものは不合理であることは間違いないだろう。
不合理や矛盾を抱えたまま疾走できる身体を持つことで
その思考はより発見的、創造的なものになっていくだろう。

そういった苦悩や喜びを持つ機械、知能といったものは部品化されて空間に埋め込まれるだろう。
私達の街は感情によって埋め尽くされる。
誰かの思考は脳内ではなく街路を伝って展開していく。

一つの生命とは無関係な自我のようにみえるものが連続的に、非局所的に存在するようになる。
そこでは個という感覚が消えていくだろう。
人間が死んだとしたら、そういった個が消えていくこと、もしくは個という価値が消えていくことが条件なのではないかと感じている。

さて、機械が身体を持ち、自ら思考していくことは機械が人間になる方向であった。
しかし、知能が世界を埋め尽くす方向は人間が消えていくというこれとは逆方向の変化である。
前者において死んだ人間とはなんだったのか。それを嘲笑うものは誰だったのか。
後者において死んだ人間とはなんだったのか。それを嘲笑うものは誰だったのか。

このあたりがそろそろわかってくるのだろうと思っている。