現実感

また現実感が少し遠のいている。日常が充実しているのとは少し違っていて、目が醒めていない感覚。考えることがまとまっていないくて、言葉も出てこない。伝えたいメッセージもないのでなにも書くことがない。1日が終わるというのは1日が終わるという認識をもってはじめて終わるのだ。つまり、現実感が遠のいて認識する力が失われていると、1日の終わらせ方がわからなくなる。途方にくれて次に目覚めるのを待っているのだ。

 

 

デュルケム

ミーティングのあとの飲み会で酔ってしまい、駅をおりてからも街を徘徊する。気がつくと日高屋でつけ麺を食べていた。1.5倍増しの麺の圧倒的存在感に目が覚めたようだ。帰宅して15時間くらい寝るともう次の夜になっていた。

デュルケムの「宗教生活の原初形態」をなぜか読み始めた。私たちが持っているしかも基本的と思える判断、例えば空間的な区別、時間の流れといったものがなぜあるのか、カントならそれはアプリオリな認識だと捉えるところを、その始原にさかのぼっていくことで、そういった区別というものが実は社会的な起源を持っているのではないか、そして宗教こそがその起源にある社会現象ではないかという視点が自分には意外で面白く感じている。哲学の基本的な問題である認識の問題を社会現象として考察しようという野心的な取り組みだったのだ。

神秘や神という概念も宗教では必須ではない。例えば仏教に神はいない。聖俗を分けること、儀礼をする教会の存在の二点が存在する宗教に共通な要素である。この教会の存在というのは呪術と宗教との違いとしてでてくるものらしい。