メッセージ

普遍であることを求めないこと。「日本人」を自認する人たちに共通の気持ちだと思っていること、そう自分が思ってしまうことの一つがこれである。一方で、私が一体何を見つけたというのだろう。私の主張は私から発されることを望んでいない。

私にとって大事なものを見つける旅に出ている。そう思わされているのがこの旅である。一方でそして月並みな幸せを認めなよという強烈なメッセージがあらゆる人の口の端にのぼる。

どうにも反対過ぎないだろうか。どちらに行っても引き裂かれてしまう。するとこの問い自体が一つの罠になっているのではないかという疑問が浮かぶ。見せかけだけの問いであって、ここに、「彼ら」(それは個々の彼らではないが個々の彼らから発せられる言葉を生むような身体を持つ)はメタ・メッセージを送り続けている。

誰に?

 

 

 

信じること

少しだけ前進できるときに嬉しいと思える。そのように思えるときがくることがわからない状態というのがある。

そんなときは、海の上に浮かんでいる板の上を歩いているような感じだ。

海が深いのかわからないし、この板の先もわからないのだ。

何かを信じるということは、そのような板の上でも、前進できるという強さともいえるし、

そこまで信じるという行為は難しいものだともいえるのではないだろうか。

考えることや感じることは、未来を予期することでもある。

信じるという行為は、理性でも、感覚でもないのであるから。