言葉の媒介

 

物事はつねに変化している。しかし、言葉は発した瞬間には、その変化はない。言葉はそこでは書かれたもののように止まっている。

 

言葉が語るものはロジックである。しかし、言葉はそこに傾向をはらむ。感情や多重な文脈を載せる。傾向とは、受け取る可能性であり、様相である。

 

言葉がどこからかやってくる、それを受け取る側は一人の読解装置のようなもので、受けとった言葉から様々なものを読み取っていく。そこには動的な動きが生まれる。

 

さて、物事は変化していた。そして、言葉は凍結されていた。最後に、物事は動き出した。

 

私たちの言葉は、何らかの力のように見える一方で、それは何らかの量子的な存在のようにもみえる。

 

物事の媒介物として力が言葉の受け取りであるなら、その背後には言葉の場、言葉の空間が存在するのであろうか。

 

言葉が量子的な存在であるとすれば、言葉の実在性が問題になる。それはもちろん、我々が量子として知りうるような形式や事象をトレースするわけではない。しかし、一つのアナロジーとしての対応物があるとすれば、やはり、同一の問題を抱えてしまうのではないかと私には思われる。

 

 

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